2016年8月29日月曜日

追加緩和で高まる日銀の保有資産減損リスク

 先週末(8月26日)のワイオミング州ジャクソンホールでの年次経済シンポジウムでは、FRBイエレン議長だけでなく、日銀・黒田総裁も「『マイナス金利付き量的・質的金融緩和』による予想物価上昇率のリアンカリング」と題した講演を披露している。9月21日公表される予定の「(今までの金融緩和策についての)総括的な検証(総括的検証)」の約1カ月前だけに、同総裁の講演内容を検証する意義はあるだろう。

 黒田総裁は、講演の冒頭で、日本は過去20年以上、長きにわたるデフレ、潜在成長率の低下、幾度かの金融危機、急速な高齢化とこれに伴う労働人口の減少による構造問題を経験してきたと説明。その上で、長期でみると、低インフレと低金利は共存する傾向があると指摘し、名目金利にゼロという下限制約(ゼロ制約)があるため、伝統的ないし標準的な金融政策の頑健性(resilience)は著しく損なわれたと述べた。

 そのため同総裁はマイルドではあるものの継続的なデフレを克服するため、「量的・質的金融緩和(QQE)」を導入し、QQEには、(1)できるだけ早期に2%のインフレ目標を達成するという明確で強力なコミットメントを伴う、(2)大量の国債買入れによってイールドカーブ全体に下方圧力を加える、という点に特徴があると説明。(1) には、大規模な金融緩和と言う裏打ちによって人々のデフレマインドを抜本的に転換し、予想物価上昇率(インフレ予想)を引き上げる狙いがあったと述べた。
しかし黒田総裁は日本のインフレ予想が安定せず、弱めの動きが観察されていることを認める。その理由として同総裁は、日本の長期インフレ予想が1990年代以降、2%より低いままであったという事実を持ち出し、2014年夏ころからの原油価格の下落でインフレ予想が弱くなってしまったという説明をした。その上で、同総裁は長期的なインフレ予想を目標水準(2%)近傍に引き上げる(アンカーする)ために、現在「マイナス金利付き量的・質的金融緩和(マイナス金利付きQQE)」を推進していると述べた。

 その後、黒田総裁は、マイナス金利付きQQEによって長期・超長期の国債利回りが大幅に低下したと指摘。その理由として、マイナス金利付きQQEはゼロ制約を取り払うことになるため、ゼロ制約の影響を受けない場合に成立するであろう「真の金利」が示現したと指摘した。そして最後に黒田総裁は、中央銀行によるインフレ目標に対する強いコミットメントが企業や家計のインフレ予想の形成に影響を与えることがコンセンサスとなっており、コミットメントそのものが頑健な金融政策の枠組みを確立する上で重要であることに変わりはないとした。そして、日銀は今後も、物価安定の目標の実現のために必要と判断した場合には、躊躇なく、「量」・「質」・「金利」の3つの次元で、追加緩和を講ずるという、いつものフレーズを繰り返し、「量」・「質」・「金利」のいずれも追加緩和の余地は十分にあるとした。

 黒田総裁による講演内容については、市場関係者から賛否両論が示されているが、講演内容が総裁自身の考えであることは否定しがたい。9月21日公表予定の総括的検証でも、「インフレ期待」や「真の金利」、「中央銀行のコミットメント」が大きなキーワードになると思われる。
9月会合後の金融政策については、講演内で「中央銀行のコミットメント」を強調したこともあり、日銀がこれまでの金融緩和について自ら否定し、金融緩和の縮小と取られかねないような新たなアクションを選択するとは考えにくくなった。むしろ「インフレ期待」を刺激し、国債利回りを「真の金利」に近付けるためにも、マイナス金利の深堀り、買入資産の拡大といった何らかの追加緩和が実施される可能性が出てきたと思われる。

 ただ黒田総裁が講演最後に述べたように、追加緩和の余地が十分にある、との考えには注意が必要である。先の7月会合ではETF買入額の拡大が決められたが、これにより円債市場だけでなく日本株市場でも日銀の存在感の高まり(悪く言えば市場支配)が批判されている。マイナス金利の深掘りについても、金融機関の収益悪化につながるとの批判は根強くある。

 黒田総裁が、こうした批判を懸念せず、「量」・「質」・「金利」の3つの次元で大規模な追加緩和に踏み切る可能性は否定すべきではないだろう。むしろ批判が高まれば高まるほど、批判者の神経を逆撫ですることを意図的に狙うことで、「中央銀行のコミットメント」の強さを誇示しようとするかもしれない。

 仮に3つの次元で大規模な追加緩和が実施された場合、日銀の次なるリスクは保有資産の減損リスクとなるだろう。資産買い入れ規模の拡大は、保有資産の価格変動リスクをさらに抱えることになる。ETFやJ-REITは国債と違い満期による償還がなく、日銀が資産買い入れ額の縮小・停止(テーパリング)に入り、保有資産の売却(出口戦略)に着手するまで、日銀はETFやJ-REITの減損リスクを拡大させ続けることになる。

 マイナス金利の深堀りは、保有国債の減損リスクを高める。日銀は保有国債の減損に備え、すでに約2.7兆円の引当金(債権取引損失引当金)を計上しているが、日銀はマイナス金利付きQQEを開始してから、約マイナス0.2%程度の利回りで国債買い入れを年80兆円のペースで続けている。現在の金融政策が今後も続くとすると、マイナス金利で買い上げる国債の保有残高も年80兆円のペースで拡大する。仮に毎年80兆円の国債をマイナス0.2%で買い入れる場合、1年間で満期時に1600億円の損失が発生するが、これが毎年毎年積み上がると、5年後には約2.4兆円の損失と、2.7兆円の引当金の多くを使い果たしてしまう。仮に日銀が当座預金に付与するマイナス金利を2倍にし、円債市場でもマイナス金利が同じように2倍に拡大すれば、4年弱で引当金は不足する計算となる。

 日銀の2015年度決算では、債権取引損失引当金を4501億円積み増したほか、外国為替関係損益で4083億円の純損失を計上したことで、当期剰余金は4110億円と2010年以来の低水準に落ち込んだ。日銀が保有資産の減損に直面した場合、日銀が赤字企業に転落することは十分にあり得るし、場合によっては債務超過に陥ることも中長期的には視野に入る。